元うつ主婦の育児日記

うつ、人格障害、発達障害で精神科通院歴ありな一児の母。元塾講師です。育児やその他の日常について、気の向くままに。

心配性な自分の行く末が心配だ

自分は心配性であると感じています。

ブログを書いていても「○○が不安」という記事が多い。

miya-p.hatenablog.com

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心配性は子どもの頃からだった

布団に入ると「寝ている間に大地震が来て家が倒壊するのではないか」「火事になるのではないか」と不安になり寝つけなくなることが多かった。エレベーターは「故障して閉じ込められたり落下したりするのではないか」と怖くて一人で乗れなかった。雷が鳴ると怖くて習い事に行きたくないと泣いた(でも行かされた)。

 

大人になった今でも、周りから見ると「変な心配」を抱くことが多いです。

自分では車を運転しませんが、高速道路が怖い。このスピードで事故が起きれば死ぬじゃないかと。事故の起きる可能性だけを考慮すれば、一般道の方が危険であるのは理解しているのですが。

同じ理由で飛行機や新幹線も怖いです。事故の起きる可能性が低いことは理解していても、起きた時の重大度を考えると怖くなります。

 

心配になるのは自分のことだけではありません。夫や母についてもです。

先日夫が職場の方々と海外旅行へ出かけた時、「飛行機が落ちるのではないか」「旅先で事件や事故に巻き込まれるのではないか」と気が気でなかった。連絡なく帰りが遅くなると「痴漢の冤罪にでもあったのではないか」とドキドキする。母が出かけて帰りが遅ければ「途中で倒れているかもしれない」と心配になる。

 

子どもに対しても同様の心配性になりそう

…こんな自分の行く末が心配というのはどういうことかというと、子どもに対してもこれくらい心配性になってしまうのではないかということです。

お腹の中にいる今も、些細なことで心配になります。お腹の張りや痛み、ちょっとした体調不良で…。

生まれてからのことを想像してみても心配は多いです。

自分の落ち度で死に繋がる事故を起こしてしまうのではないか。保育園や幼稚園に行けばそこで事故に遭うのではないか。小学校に上がったら通学路で事件や事故に遭うのではないか。中高生になれば事件や事故に遭うだけではなく、起こす心配だって出てくる……。

子どもが関わる事件や事故のニュースを見るたびに心配になるのです。まだ生まれてもいないのに。

 

頭の中であれこれ心配するだけでも精神衛生上よろしくない気はします。

しかし、それ以上に不安なのは、自分がその心配を子どもに押し付けて過保護な親になってしまうこと。生まれてみないとどんな親になるかなんて分かりませんが、よくある「過保護な毒親になってしまうのではないかという恐怖に襲われます。

今からそんな心配をしていることこそがまさしく心配性であるともいえますが。

 

子どもの頃からずっとこういう性格なので、心配性自体を変えることは難しいかもしれませんが、それで周りに迷惑をかけないよう心掛けていきたいところです。

37w3d お金に対する漠然とした不安

分娩や産後に対する不安感が増してきた最近。

miya-p.hatenablog.com

 

今あるのは「お金に関する不安」です。

 

元々家計管理というのが苦手だった我々夫婦。それでも最近は簡単な家計簿をつけられるようになりました。

miya-p.hatenablog.com

 

その結果、収支は毎月黒字になっていることが分かりました。貯金もある。我が家の収入が世間と比べてどうなのかは分からないが、今、お金に困っているわけではない。贅沢をしなければ、日々余裕を持って生活できる。

 

じゃあ何が不安って、赤ちゃんが我が家にくることで支出がどの程度増えるのかが見えないことです。

ネットで調べてはみたものの、結論としては「人それぞれ」ということだそうで。そりゃそうか。

 

光熱費は上がるだろうし、おむつ代、場合によってはミルク代、その他諸々の消耗品代がかかる。節目にはお宮参りやお食い初めがある。学資ローンなんかも組むことになるでしょう。

それだけならいいですが、予定外の出費があるかもしれない。赤ちゃんの病気や障害、我々大人の病気やケガ、親の介護…。赤ちゃんがくることと関係のない不安まで出てきます。考え出したらキリがありません。

 

以前、夫の職場が主催してくれたマネーセミナーのようなものに参加し、子どもの自立までにかかる費用も勉強はしたのです。だから、頭では分かっているつもりなのですが、気持ちの面では不安感が強くなってしまいます。

私の性格特有のものなのか、世間のママさんは皆抱えている不安なのか…。

 

子どもを迎える身としてこんな不安を抱えていることが情けないし、赤ちゃんに申し訳ない。

しかし、不安になっていても仕方がないので、今は日々できる範囲で節約をして少しでも貯金を増やしていくしかありませんね。

36w6d 分娩への不安が強くなってきた

このところ、分娩に対する不安が強くなってきています。

今までは「分娩に対する」というより「産後に対する」不安が強かったのですが。

それだけ予定日が近づいているということですね。

 

miya-p.hatenablog.com

 

産後に対する不安の方が強かった時期は、分娩に関してこう思っていました。

「痛みとか怖いけど、怖いからってやめられるものじゃないから怖がっても仕方がない」

おそらく、私が分娩に対する不安を誰かに漏らせば、そういう答えが返ってくることもあるでしょう。

でも今は考えが変わってきました。

やめられるやめられないとか関係なく、怖いものは怖くない????」と。

 

想像のつかないことって怖い

まず、陣痛がどんなものか分からない。

母親学級で「病院に連絡するタイミング」を教わったものの、言葉で説明されてもピンときません。「これが陣痛だ!」って分かるものなのだろうか…(分かるのでしょうけど)。

 

陣痛や分娩の痛みも想像がつかない。

私は今までの人生で身体的に強い痛みを経験したことがないのです。幸い、大きな病気や怪我なく生きてこられたので。

 

そんな想像もつかないことがいつ起こるか分からないのが不安を増長させます。

元々、予定外のことに臨機応変に対応することが得意ではないのです。

初産は予定日より遅くなることが多いと聞きますが、100%そうであるとは言い切れないわけで。予定日前から後まで、いつ産気づくか分からない。それが不安なのです。

 

あとは、これは妊娠初期からずっと思っていることですが、無事に生まれてきてくれるのかが心配です。

最近は胎動のおかげで不安も軽減されていますが、突然胎内で死んでしまったり、分娩中に何らかのきっかけで死んでしまう可能性もある。というか、私が死ぬ可能性だってあるわけだ。

今更だけど、出産ってすごいことだとつくづく思います。出産して子育てしている/していたお母さんたち、流産や死産を経験した天使ママたち、妊活されている方々、みんなすごい。私はその仲間入りをできるのか。

 

子育てなんて予定外の連続でしょうから、今からこんなことで怖がっていてどうするんだ!と言われそうですね。自分でもそう思います。

とりあえず、過度に怯えても仕方がないので、少しでも不安を軽減するために備えをしっかりしなければなりませんね。

人生って不可逆なんだよな

予定日が近づいてくるにつれ、「子どものいない生活も人生であと数週間か」と考えることが多くなりました。

「子どものいない生活」が終わることが嫌なわけではないんです。いざ生まれたら嫌になることもあるのだろうけど。

ただ、「いま当たり前に送っている日常はもう二度と戻ってこないんだ」という気持ちになるのです。「やり残したことはないかな」とか。

 

結婚する前も似たような気持ちになりました。

「独身女性として過ごすのも最後か」「この苗字(旧姓)を名乗ることもないのか」…と(離婚する可能性だってありますけどね…)。

だから、結婚直前の一年間は遊びに遊びました。結婚して出産もするとなった今、あんなに遊びまくることなんてできなくなったので、遊んでおいてよかったと思っています(お金貯めておくべきだったと思うこともありますが…)。

 

考えてみれば、「この日常はもう戻ってこない」というタイミングは他にもありました。

私にとっての大きな節目は高校卒業、大学卒業です。

しかしその時は何も考えずにただ漫然と日々を過ごしていました。うつ病等になっていてそれどころではなかったというのもありますが、今思うともったいない。

 

今ある日常が終わる時がくると常に頭にとどめて、後悔のないように過ごしていきたいです。

もちろん、そう思って過ごしても後悔することはあるのだろうと思います。しかし、漫然と過ごして後悔するのと、自分なりに気をつけて過ごして後悔するのでは後味も違うんじゃないかなとも思うのです。

「日常」どころか「今日という一日」「この一瞬」ももう戻ってこないんだから、大切にしないとな。

正論を言うことが正解とは限らないと分かってはいても

道理にかなった「正論」を発することが、その場の「正解」とは限らないことって多々ありますよね。

正論よりも、相手の気持ちに寄り添った言葉が求められる場面です。

それなのに私は、相手の気持ちや場の空気を考えずに正論を言ってしまうことがよくあります。

 

昨日は夫と二人、家でのんびりしていました。夫も私もそれぞれ別のゲームに夢中。

2時間ほどゲームをしていたところ、夫が急に「わーーーー!」と叫び出しました。

何かと思えば、ゲームが処理落ちをして強制終了してしまったとのこと。

途中で保存していなかったため、約2時間のプレイが水の泡になってしまったそうです。

 

そんな夫を見て私が思うのは「こまめに保存しておけばよかったのに」ということ。

でも、落ち込んでいる夫に対してそんな正論は酷ですよね。

だから、自分の考えを飲み込んで、「ショックだよね」と夫の嘆きに同調する言葉をかけました。

 

 

その夜は二人で野球中継を観ていました。二人とも同じ球団のファンです。

途中、夫にとって納得のいかない判定…私たちの好きな球団に不利な判定を審判がしました。

(Twitterを見てみると、解説者やその球団のファンにも納得のいかない方が多かったようです)

 

テレビに向かって憤慨する夫。

その姿を見て私が思うのは「こっち側有利な判定をされる時だってあるんだからお互い様でしょ」「こっち側有利な判定の時は何も言わないくせに、不利な判定のときばかり怒るんだ」ということ。

 

しかし、以前同じようなことがあった時にこれを口にしたら夫に激昂されたことを思い出しました。

「場の空気を読まずに正論ばかり言うなんて信じられない」と。

 

私の考えは正論。

でも、ファン心理としては、自分の好きな球団に不利な判定があったら怒りたくなるのは当然。

だから、一緒に怒るまではしないにせよ、そんなファン心理を逆撫でする正論は言わない方がいいのでしょう。

 

 

夫にはよく、こうも言われます。

「あなたは子どもに対しても理詰めで迫るの?」

理屈理屈正論正論で迫られたら窮屈だろう、と。

 

まぁそうですよね。

相手が子どもであっても大人であっても、まず相手の気持ちに寄り添うことが大切なのは分かっています。

(仕事で子どもを相手にするときはできていた(つもりだった)のに、私生活だと難しいですね)

 

 自分のことは「すぐ感情的になる人間」だと認識しています。

それと「正論を振りかざす」ことは反対のように感じますが、正論ばかり言ってしまうのも「正論を言いたくなる感情を制御できていない」という意味では「感情的になっている」のだと考えています。

正論に限った話ではありませんが、何か言いたくなったときに「一旦立ち止まって考える」習慣をつけたいところです。

相手の些細な一言に過剰反応するのをやめたい

誰かが私に何か言ったとき、本人に私を責めるつもりがなくても「責められている」と感じてしまうことがあります。

それによって落ち込んだり、「なんで私が悪いことになるの?」と憤慨したり。

私のそんな反応に対して「何気なく言った一言にそんなに食いつかれても…」と相手に思われ、ギクシャクしてしまうこともしばしば。

 

たとえば、家にあるお菓子を夫の仕事中に私が食べたとします。夫の分は取っておこう、と半分は残して。

 

帰宅した夫が「お菓子食べたんだ」と言ってきます。夫にとっては「お菓子がなくなっている」という事実に対して何の気なしに発した一言です。

しかし、私の中には「食べちゃいけなかったの?」「勝手に食べてしまった…」「食べるなとは一言も言われていないのに責められた!理不尽だ!」「あなたの分を取っておいたのに何が不満なの?」という気持ちが起こります。

 

こうやって書いてみると、おかしな思考回路ですね。しかし、このような思考は私にとって日常茶飯事なのです。

 

逆に自分の発した何気ない一言がこれだけの過剰反応をされたら、苛立つと思います。実際に夫には「いちいちそんなに反応されたら、もう何も言えなくなる」と言われたことも。

 

「お菓子食べたんだ」と言われたら「食べたよ~」と一言返せば終わる話です。

どうしてすぐにああいった気持ちが湧いてしまうのか?自分でもよく分かりません。

まずはその原因を探ることから始め、自分にも相手にもストレスの溜まらないコミュニケーションを取れるようになりたいです。

36w2d 脚の付け根が痛い!

最近急に体重が増えてきました。

お腹も急激に大きくなった…気がします。

 

 

今までは「お腹が大きくて不便!」と感じることもあまりなかったのですが、この頃は感じることが増えてきました。

 

  • 屈むのが大変。靴下を履く、床のものを拾うといった動作に苦労する。
  • 椅子に座っているとお腹が机に引っかかる。

 

今思い当たるのはこのくらいです。

 

不便以外に辛いのは、脚の付け根の痛さ

 

二日ほど前から脚の付け根が痛むのです。

まだ「歩けない」というほどではないですが、動くのは億劫になってきました。

家事もしたいし、歩きにも出かけたいし、家の中で好きなことをしたい。それなのに、動けないのがもどかしい。

しかし臨月にはよくあることのようなので、「これも赤ちゃんに会うため」と受け入れていきたいです。

 

痛み始めたのがちょうど健診のあとというタイミングの悪さでしたが、次の健診で相談しようと思います。