元うつ主婦の育児日記

うつ、人格障害、発達障害で精神科通院歴ありな一児の母。元塾講師です。育児やその他の日常について、気の向くままに。

36w0d ついに臨月!&妊婦健診

臨月に入りました。

ここまであっという間だったなぁ。

 

正産期も間近。

もうほとんど外界で生きていける状態になった子が自分のお腹の中にいるらしい。

初めて産婦人科にかかったときは、袋(胎嚢)しか見えなかったのに。

私の胎内でここまで成長してくれたのか。

そう考えるだけで涙腺が緩む私……

 

出産することがゴールみたいな気分になることもあるけれど、そんなことは全然ないわけで。

出生の瞬間から何十年もの人生がスタートするのだ。母親のお腹の中にいる十ヶ月なんてそれと比べたらとても短い。

でも、私にとってはその十ヶ月ですら中身いっぱいの期間になっている。この先の子育てはどうなっていくのだろうか。楽しみやら不安やら、色々な感情が入り混じっている今日この頃。

 

miya-p.hatenablog.com

 

 

そんな前置きはさておき。

本日は健診でした。

 

母子ともに異常なし。

 

…異常はないのですが、体重が、増えすぎてしまいました

 

二週間前の健診から2kg増

原因は分かっています…お盆休みで気が抜けました…。

妊娠前から前回の健診までで2kgしか増えていなかったのに、それと同じだけの体重増加を二週間でしてしまうなんて…。

 

助産師さんからは

「赤ちゃんが急激に成長する時期だから、このペースで増えるのも仕方ない」

「けれど、あまり急に増えすぎると高血圧になるかもしれないから、一週間に500gくらいのペースにできるといい」

との言葉をいただきました。

 

怒られる~とヒヤヒヤしていたので一安心。

 

とはいえ、気を抜いていてはまた急激に増えてしまいそうなので気をつけねばなりません。

雨だとか暑いだとか言い訳をして歩く量が減りつつあるので、また歩くようにしないとな。

 

miya-p.hatenablog.com

 

予定日まで残り4週間。

このまま母子ともに何事もなく、無事に出産を終えられることを祈ります。

大切なものを失うのが怖い

私はペットを飼うことに消極的です。

 

決して動物が嫌いなわけではありません。

そもそも今住んでいる部屋がペット禁止ですし、世話をすること、経済面などの理由も挙げられます。

 

その中でも最も大きな理由は、別れが怖いこと

 

余程のことがない限り、ペットは私より早く死んでしまいます。

家族のように過ごしてきた動物と永遠の別れをする時の悲しみを今から想像してしまうのです。

 

子どもの頃は、亀やハムスター、うさぎを飼っていました。

その子たちが死んでしまった時のことを思い出すと、今でも胸がキュッとなります。

 

もちろん、そのような別れから得られるものもあるのかもしれません。

「命の尊さ」を学べるとはよく言われますよね。

それでも怖いものは怖い。

 

 

別れが怖いのはペットだけじゃない。

人間との別れも怖いです。

 

まずは親。

母親は現在57歳。

もちろん、あと30年以上生きる可能性もある。

でも、60代で亡くなる方もいるでしょう?

現に、母方の祖父母は60代で亡くなっているはずです。

 

今は毎日元気にしていますが、いつ体調を崩して死んでしまうのか分からない。

そう思うと堪らなく怖くなります。

 

夫にしてもそう。

普通に生きられれば、まだまだ付き合いは長いはず。

 

でも、ある日突然交通事故で死んでしまうかもしれない。

治りきらないガンが見つかるかもしれない。

過労死をするかもしれない。

 

お腹の赤ちゃんだって、生きて生まれてくるかは分からない。

生まれてきたって、何らかの事故や病気で親より早く死んでしまうかもしれない。

 

今までは、自分が死ぬことばかり考えてきました。

死にたい、いつ、どうやって死のうか。と

それが、他者の死に関心が向くようになった。

その変化がいいものか悪いものかは分かりません。

 

まだ起こっていないこと、あるいは起こる可能性の低いことに恐怖心を抱くのはおかしいのかもしれない。

それに、早くにご両親を亡くしている方や配偶者、子どもを亡くしている方にとっては失礼な感情かもしれない。そういう方がお読みになっていたら申し訳ありません。

 

万が一に備えはすれど怯えはせず、今の幸せを味わっていきたいところです。

他人のうつを甘えとは思わないけど、自分のうつは甘えと思う心理から抜け出せない

「うつは甘えではない」という意見をよく目にします。

私も他の精神疾患当事者に対して「甘えだろう」と思ったことはありません。

しかし、自分の疾患に対しては「甘えだったのではないだろうか」と感じています

 

病中は「もっと頑張らなければ」「こんなのは甘えだ」という思いを抱えてきました。

寛解した今でも、当時を振り返ると「あの時もっと頑張れたのではないか」「病名に甘えていただけだったな」と感じます。

 

だから、「自分はうつ病を患っていた」と名乗りはしますが、その一方で「自分なんかが(元)うつ病を名乗ったら、本当に苦しんでいる方々に失礼ではないのか」という思いもあります。

「自分みたいな甘えた"自称うつ病患者"がいるから、『うつは甘えだ』という認識が広がってしまうのではないか」とも。

 

通院していた頃、その話を主治医にしたところ「客観視が大切だ」というアドバイスをいただきました。

 

「同じことを他人から言われたらあなたはどう答える?」

 

そう自問するのだそうです。

他人からそんなことを言われたら「甘えじゃないよ」と言えると思います。

だったら、自分に対してもそう言ってあげればいいじゃないか、ということのようです。

 

うーん。

理屈は分かる。

でも、私の場合は他の人と違って甘えだと思う。

だって、病むに値する事情がなかったんだもの。

 

家庭環境が劣悪だったわけでもない。

学校でいじめられていたわけでもない。

普通の人生。

 

それなのに「うつ」?「死にたい」?

 

どうすればそんな感情がわくのか。

自分より辛い環境に置かれているのに頑張っている方だってたくさんいるはずだ。

 

「辛さは人と比べるものではない」

 

それも分かる。頭では。

「人と比べるものではない」としても、この程度で挫ける自分の容量の少なさが嫌になる。

 

こういう思考だからうつになるんだろう、と冷静に指摘する自分もいます。

自分自身が一番、自分の疾患に対する偏見を持っているではないかとも感じます。

 

前向きな思考になろうと努める自分もいる。

でも、根本にある考え方を変えることができません。

どうにかしたいんだけど、どうしたものか。

無気力に抗わないようにしてみる

今朝から何に対してもやる気が出ません。

 

午前中は眠気が強かったので寝て過ごす。

洗い物もシンクに放置。

お昼ご飯は冷凍庫にあったものをレンジでチンして済ませる。

 

幸い、今日は夕食さえ用意できればOKな日。

ですが、台所に立つ気力がわかない。

頭がボーッとする。

 

本当は歩きに出かけたいんです。

この二週間で体重が2キロ近く増えてしまったので、なんとかせねばという思いがあり…。

しかし、出かける気にもならず、家でウダウダ。

 

こういう日って、どうすればいいんでしょうね?

 

今までの自分はこうでした。

「無気力なりに頑張ろうとする」

「それでも何もできない」

「罪悪感が募る」

「更に動けなくなる」

 

ですので、今日は「無気力に抗わない!」と決めてみました。

最低限の家事は寝るまでに済ませるとしても、やる気になった時にやればいいやと。

 

寝たければ寝る。

ゲームしたければする。

ブログを書きたければ書く。

そうすれば、そのうち少しは動く気になるだろう。と。

 

午前中寝て過ごしたからか、少し元気になってきたので、洗濯機を回しました。

よし、動けた。偉い。

この調子で少しずつ。

 

気力がわかなくても頑張らなければならない立場の方も多い中、自分のペースで動ける自分は恵まれていますね。

いやいや、私も今はいいが、子どもが生まれてから大丈夫なのだろうか。

まぁなんとかなるか。

不安になりすぎず、前向き精神でいこう。

夏の終わりの寂しさは昔から変わらない

昨日は弟が我が家へ遊びに来てくれました。

 

弟は私たちの住んでいるところから数百キロ離れた土地で働いています。

彼が学生の頃は1時間強あれば行き来できるところに住んでいたので、会おうと思えばすぐに会えたのですが、離れてからはそうもいかず、今回は半年ぶりの再会となりました。

まぁ、半年ぶりってそこまで「久しぶり」って感じでもないんですけどね。

 

私たちの家へ遊びに来てくれるのは初めてでした。

 

手料理をふるまい、私以外はお酒を飲んで、高校野球を観ながら盛り上がる。

帰りは最寄りのバス停まで送っていき、バスが見えなくなるまで見送る。

 

「あぁ、夏休みだなぁ」と感じました。

 

遠方の親族がやって来たのをもてなし、見送る。

あるいは、自分たちが遠方の親戚のもとへ行きもてなしてもらう。

それは子どもの頃から夏休みの恒例行事でした。

 

自分たちは三人暮らしなので、弟が帰っても寂しいことはないはずなのですが、地元から離れた土地で一人暮らしをする弟のことを考えると、寂しくなってしまいました。

 

非日常が終わって日常へ戻っていく時の寂しさ。

これは学生の頃から変わらず感じています。

ただ、日常があるからこそ非日常を楽しく感じるのかもしれません。

次の非日常を楽しみに、明日からもゆるーく日常を生きていこうと思います。

母との同居が始まった

昨日、実母が我が家へ越してきて同居が始まりました。

miya-p.hatenablog.com

 

家の間取りの関係で、母が自室にいると母の存在を感じない。

だからお互い変に干渉しすぎずに過ごせるかもしれません。

 

家事については、我々夫婦と母で得意分野が異なるので、お互いの得意分野を分担して行う形になりそう。

特に決まりを作った訳ではないですが。

私としては、苦手な皿洗いや掃除を母が進んでしてくれるのは有難い……(甘え)

 

miya-p.hatenablog.com

 

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思春期の頃から病気が寛解する頃までは母と衝突しがちでしたが、こうして(今のところ)和やかに同居できるようになったなんて感慨深いです。

あとは夫がストレスを感じなければいいのですが…。

 

まだ初日なのでこれから問題も起きると思いますが、うまくやっていきたいです。

スマホに時間を奪われないために気をつけていること

以前から、スマホをダラダラといじっていることによって時間が過ぎていく…ということが多かった私。

食後とか、お風呂上がりとか、家事の合間とか、気づけばスマホをいじっている。

スマホをいじることが悪とは思わないのですが、私の場合一度いじり始めるとズルズルと長時間or小刻みに短時間が経ってしまい、一日の総計で見ると結構な時間を費やしていたと思うのです

また、それに伴い「またダラダラしてしまった…」と落ち込むこともありました。

ですので、ダラダラを少しでも減らそう!と意識改革をしてみた次第です。

スマホの置き場所を決める

私がスマホをすぐに触ってしまうのは、手の届く範囲にあるから

だったらすぐには手の届かない場所に置いておこう!となったわけです。

私の性格上、スマホを取りに行くのが面倒>>>>>スマホをいじりたい」という心理になるので…

今はリビングの角にある本棚を置き場所としています。

私にとって「意識しないと行かない場所」なので、ちょうどいいです。

通知を切る

離れた場所に置いても、通知がくると気になって見に行ってしまう……

ということで必要最低限の通知以外は切るようにしています

私にとっての必要最低限は以下の通り。

  • 電話
  • メール
  • LINE

一時期は終始ナイトモード(通知が一切こない)にしていたのですが、電話に出られないのは少し不便だなと思いやり方を変えました。

21時以降は使わないようにする

これは元々、睡眠の質を上げるために始めたことです。

私の場合22時~23時に就寝することが多いので、その1時間くらい前からスマホを触らないようにしようと心がけています。

とはいえ、家族との連絡はとれないと不便なので、そのために使うのはOKとしています。

 

上記の心がけはどちらも「こうしてみようかな」程度の気持ちで始めたことなので、破ってしまうこともあります…。

ただ、まったく意識しないよりはマシであるように感じています。

「あれっ、いつの間に時間が経っていた…」と凹むことが少なくなったので。

これからもゆる~く続けていこうと思っています。