元うつ主婦の育児日記

うつ、人格障害、発達障害で精神科通院歴ありな一児の母。元塾講師です。育児やその他の日常について、気の向くままに。

"自分の"発達障害や精神疾患を恥ずかしく思う気持ち

塾講師をしていたころ、生徒の保護者からこう打ち明けられたことがあります。

「実は息子がADHDで…」「娘は"死にたい"と言ったり腕を切ろうとしたりすることがあって…」

いずれも、私にも身に覚えのあることです。しかし私はそれらの告白に対して、あたかも自分は未経験であるかのような反応をしていました。自分が「ADHDである(正確にはグレーゾーンですが)」とか「腕を切ったことがある」と知られたら、お客様である保護者からの信頼を失ってしまうのではないかという恐れがあったからです。

あの時「自分もそうなんです」と保護者に告げていたらどうなっていたでしょうか。

今振り返っても、「そんな人間に子どもを預けたくない」と思われるであろうと感じます。

 

そもそも、子どもが発達障害精神疾患を持っている親御さんの中には、そのような障害や疾患を認めない方もいるでしょう。打ち明けてくださった保護者がもしそうだったら、嫌悪感を抱かれる可能性が高い。

また、自分の子どもの障害や疾患を認めている、あるいは認めようとしているからこそ打ち明けてくださったのだとしても、他人に対しては同様に考えられないかもしれない。その場合も嫌悪感を抱かれるだろう。

そのように考えた結果、「打ち明けないのが一番安全だ」という結論に至るのです。

 

私がこう考えるのは、「世間が発達障害精神疾患に偏見を持っているから」というわけではないと思います。私自身が発達障害精神疾患を持っているのは恥ずかしいことだ」という考えを持っているからでしょう。

だから、インターネット等で発達障害精神疾患を理解しない社会を糾弾する意見を見かけると、素直に感心します。私にとっては「理解されないような状態になってしまった自分が悪い」のだから。

また、昨今話題になっている障害者雇用の水増し問題に関しても(精神・発達障害についてだけ考えれば)、「そりゃ発達障害精神疾患の人間なんて雇いたくないだろうよ」と感じています。「だって私みたいな人間を雇ったって人件費の無駄だもの」と。

 

しかし不思議なもので、「自分以外の」発達障害精神疾患の方々に関して考えると、無理解や雇用の水増しはあってはならないと結論づけられます。だって、発達障害精神疾患を抱えていても立派な方だってたくさんいるもの。そもそも、そういう障害や疾患はその人のせいじゃないんだから、それらと戦っているだけで立派だ。何が恥ずかしい?戦っている人たちを馬鹿にしないでほしい、偏見はよくないよ、と。

 

やはり、「発達障害精神疾患」ではなく発達障害精神疾患である自分に対する嫌悪感があるのでしょうか。

いや、自分が自分を恥ずかしく思うのは、発達障害精神疾患ゆえではない。元々の性格ゆえだ。それを発達障害精神疾患のせいにするのは、他の当事者の方々に失礼ではないか。

miya-p.hatenablog.com

やはり私は、何事も自分中心に考えてしまって客観視ができないようです。いつもそこで議論が終わり、進展はありません。考え方を変えるって難しい。