完璧よりも心のゆとりを大切にしたいと思うけれど
私は完璧主義のきらいがあります。
そんな私ですが、ある日夫にこんな指摘をされました。
「完璧であろうとするあまり余裕がなくなって、機嫌が悪くなったり体調を崩したりする方が周りにとっては迷惑ではないのか」
まったくもってその通りだと思う。
だから、手を抜けるところは手を抜いて、その分心身にゆとりを持つべきだと思っています。
そうは言っても、「完璧であること」に憧れる気持ちは消えません。
完璧を追求すると余裕がなくなるのは、自分の努力・能力不足だから。
能力の高い人、要領のいい人は何事も完璧にこなしつつ心にゆとりを持てるのであろう。
そこまでできる「完璧」に憧れる。
しかし、その「完璧」は私には無理だと自覚しなければならないとも思います。
「面倒くさがりだし完璧にやる能力もない癖に気持ちだけ完璧主義。理想と現実の差を認識できていないから病むんだ」
夫にそう指摘されたこともあります。
まさしくその通り。
自分の身の丈を認識し、それに見合った生活をしなければならないと思います。
自分のこだわりで自分が辛くなるだけならいいが、そのことによって周りを不快にさせてはよくない。
子どもが生まれたら尚更。
親が常に不機嫌な家庭だなんて嫌だもの。
子どものためにも、手を抜くことでご機嫌でいられる人間でありたいです。
…最近そんなことを考えていますが、いざ手を抜くと言ってもどこまでなら許されるんだろう。
極端な話、家事を一切やらずにずっと好きなことだけしているのは?
いやいや、いくらなんでもそれは迷惑だ。
私も罪悪感が生まれそう。
手を抜きすぎて迷惑をかけたり罪悪感を抱いたりせず、かといってハードルを上げすぎて不機嫌にならず…な丁度良い度合いを見つけたいと思っています。