元うつ主婦ののんびりマタ日記

うつ、人格障害、発達障害で精神科通院歴ありな現在妊娠中の主婦。妊娠生活やその他の日常について、気の向くままに。

夏の終わりの寂しさは昔から変わらない

昨日は弟が我が家へ遊びに来てくれました。

 

弟は私たちの住んでいるところから数百キロ離れた土地で働いています。

彼が学生の頃は1時間強あれば行き来できるところに住んでいたので、会おうと思えばすぐに会えたのですが、離れてからはそうもいかず、今回は半年ぶりの再会となりました。

まぁ、半年ぶりってそこまで「久しぶり」って感じでもないんですけどね。

 

私たちの家へ遊びに来てくれるのは初めてでした。

 

手料理をふるまい、私以外はお酒を飲んで、高校野球を観ながら盛り上がる。

帰りは最寄りのバス停まで送っていき、バスが見えなくなるまで見送る。

 

「あぁ、夏休みだなぁ」と感じました。

 

遠方の親族がやって来たのをもてなし、見送る。

あるいは、自分たちが遠方の親戚のもとへ行きもてなしてもらう。

それは子どもの頃から夏休みの恒例行事でした。

 

自分たちは三人暮らしなので、弟が帰っても寂しいことはないはずなのですが、地元から離れた土地で一人暮らしをする弟のことを考えると、寂しくなってしまいました。

 

非日常が終わって日常へ戻っていく時の寂しさ。

これは学生の頃から変わらず感じています。

ただ、日常があるからこそ非日常を楽しく感じるのかもしれません。

次の非日常を楽しみに、明日からもゆるーく日常を生きていこうと思います。

母との同居が始まった

昨日、実母が我が家へ越してきて同居が始まりました。

miya-p.hatenablog.com

 

家の間取りの関係で、母が自室にいると母の存在を感じない。

だからお互い変に干渉しすぎずに過ごせるかもしれません。

 

家事については、我々夫婦と母で得意分野が異なるので、お互いの得意分野を分担して行う形になりそう。

特に決まりを作った訳ではないですが。

私としては、苦手な皿洗いや掃除を母が進んでしてくれるのは有難い……(甘え)

 

miya-p.hatenablog.com

 

miya-p.hatenablog.com

 

思春期の頃から病気が寛解する頃までは母と衝突しがちでしたが、こうして(今のところ)和やかに同居できるようになったなんて感慨深いです。

あとは夫がストレスを感じなければいいのですが…。

 

まだ初日なのでこれから問題も起きると思いますが、うまくやっていきたいです。

スマホに時間を奪われないために気をつけていること

以前から、スマホをダラダラといじっていることによって時間が過ぎていく…ということが多かった私。

食後とか、お風呂上がりとか、家事の合間とか、気づけばスマホをいじっている。

スマホをいじることが悪とは思わないのですが、私の場合一度いじり始めるとズルズルと長時間or小刻みに短時間が経ってしまい、一日の総計で見ると結構な時間を費やしていたと思うのです

また、それに伴い「またダラダラしてしまった…」と落ち込むこともありました。

ですので、ダラダラを少しでも減らそう!と意識改革をしてみた次第です。

スマホの置き場所を決める

私がスマホをすぐに触ってしまうのは、手の届く範囲にあるから

だったらすぐには手の届かない場所に置いておこう!となったわけです。

私の性格上、スマホを取りに行くのが面倒>>>>>スマホをいじりたい」という心理になるので…

今はリビングの角にある本棚を置き場所としています。

私にとって「意識しないと行かない場所」なので、ちょうどいいです。

通知を切る

離れた場所に置いても、通知がくると気になって見に行ってしまう……

ということで必要最低限の通知以外は切るようにしています

私にとっての必要最低限は以下の通り。

  • 電話
  • メール
  • LINE

一時期は終始ナイトモード(通知が一切こない)にしていたのですが、電話に出られないのは少し不便だなと思いやり方を変えました。

21時以降は使わないようにする

これは元々、睡眠の質を上げるために始めたことです。

私の場合22時~23時に就寝することが多いので、その1時間くらい前からスマホを触らないようにしようと心がけています。

とはいえ、家族との連絡はとれないと不便なので、そのために使うのはOKとしています。

 

上記の心がけはどちらも「こうしてみようかな」程度の気持ちで始めたことなので、破ってしまうこともあります…。

ただ、まったく意識しないよりはマシであるように感じています。

「あれっ、いつの間に時間が経っていた…」と凹むことが少なくなったので。

これからもゆる~く続けていこうと思っています。

「ごめんなさい」より「ありがとう」と思えるようになりたい

人から何かしてもらった時、私がまず思うのは「(やらせてしまって)ごめんなさい」です。

 

例えば、普段私がやっている家事を夫がやってくれたとする。

その時に咄嗟に出る言葉は「私がやらなきゃいけないのにごめんなさい」

 

自分にもできることを人にしてもらうということに罪悪感があります

自分がやらなかったせいで他人に負担をかけてしまった、と思うのです。

 

でも、毎回そう思っていたらしんどいなぁ と感じています

というのも、私は自分ですべきことを人にしてもらうことが多いから。

情けない話ですが、全てを自分で処理するということができないのです。

 

相手の立場に立ってみて「ごめんなさい」と「ありがとう」のどちらが適切なのかは、私には分かりません。

 

厚意でしてくれたのなら「ありがとう」?

不快に思いながらもしてくれたのなら「ごめんなさい」?

 

少なくとも私には、自分のために又は代わりに何かをしてくれる人の様子はいつも後者に見えます

だから「ごめんなさい」が出るのです。

 

でも、もしかしたら前者かもしれないんですよね

そう思って「ありがとう」という言葉が出るようになったら、罪悪感が減って気持ちも楽になるのだろうか。

自分でやれなかった不甲斐なさを嘆くより、やってくれた相手の優しさに感謝する方が健全ではないか。

 

だから、先ほどの例であれば、夫に対して「やってくれてありがとう」という言葉が出るようになりたい。

 

あくまで自分本位な考え方です。

相手が謝罪を欲していたら「ありがとう」は不快にさせてしまうかもしれない。

 

でもまずは、自分が気持ちに余裕を持てることを大切にして、「ありがとう」と言えるようになりたいです。

「新たな知識を得る」喜び

結婚してから、新聞を読むのが好きになりました。

 

独身時代は新聞を購読していなかったので、読むこともありませんでした。

しかし、結婚してから、夫が新聞を購読しているため「せっかくだから私も読もうかな」という気持ちで読み始めたのがきっかけです。

ちなみに、購読しているのは日本経済新聞です。

 

私は法学部出身なので法務や政治については多少の知識がありますが、経済etcについてはサッパリ。

だからこそ、「新たな知識を得る」ことが楽しく感じるのかもしれません

何歳になっても「学ぶ」って楽しいものですね。

 

専門的な事柄以外に、生活に役立つコラムなんかもあって楽しい。

気になった記事は切り抜いてノートに貼ることもしています。

 

主婦が新聞を読んで世の中のことを知るのに何の意義があるんだろう?と疑問に思うことも多々あります。

教養として知っておいて損はないかもしれないですが、果たして生活に役立つのだろうかと。

(実は行政書士の資格を取ろうと勉強中なので、その対策には使えるかもしれませんが。)

 

そんなこと言い始めたら自分の趣味(ゲーム&野球&ライブ)なんて生活に役立たないものばかりですし、趣味に役立つか否かなんて関係ないと割り切っています。

役立たないと思っていたものが、思わぬタイミングで役立つかもしれませんしね。

 

新聞からもっと色々なことを吸収できるよう、経済の基礎知識を学びたいなとも思い始めています。

問題は、新聞をじっくり読んでいるとあっという間に時間が過ぎてしまうことかな。

速読なんかも学べば身につくのでしょうか。色々と挑戦してみたいです。

「誰も私に期待していない」と思うと楽になった

完璧主義をやめたいと、前回書きました。

miya-p.hatenablog.com

 

最近思うんです。

どうして私は完璧でなければならないと思っているのだろう、と。

 

完璧でなければ愛されないから?

欠点があると嫌われるから?

 

そんな思いがあるのでしょう。

 

でも、いつ他人が私に完璧を要請した?

 

多分、私が完璧でいることを期待している人は周囲にいないんです

「できる」と思われていない。

だから、完璧でいられなかったとしても嫌われないのかもしれない

だって、初めから期待されていないから

 

そう思えるようになったのは、私が恵まれた環境にいるからです。

「完璧であれ」と求めてきたり、「この人は完璧だろう」と期待してきたりする他人がいない。

 

世間にはきっと、周囲から完璧を要請されて苦しんでいる方もいると思います。

 

そんな中で「期待されない」というのは幸運なことだ

だから、自分自身に過度な期待をかけるのはやめて、ありのままに生きていこうと思えるようになりたいです。

 

…言いたいことがうまくまとまってないな、まぁそれもよしとしよう。

ブログの記事だって、プロのような質の高さを求めて隅々まで読む人はいないだろうから。

完璧よりも心のゆとりを大切にしたいと思うけれど

私は完璧主義のきらいがあります。

miya-p.hatenablog.com

 

そんな私ですが、ある日夫にこんな指摘をされました。

 

「完璧であろうとするあまり余裕がなくなって、機嫌が悪くなったり体調を崩したりする方が周りにとっては迷惑ではないのか」

 

まったくもってその通りだと思う。

 

だから、手を抜けるところは手を抜いて、その分心身にゆとりを持つべきだと思っています。

 

そうは言っても、「完璧であること」に憧れる気持ちは消えません。

 

完璧を追求すると余裕がなくなるのは、自分の努力・能力不足だから。

能力の高い人、要領のいい人は何事も完璧にこなしつつ心にゆとりを持てるのであろう。

そこまでできる「完璧」に憧れる。

 

しかし、その「完璧」は私には無理だと自覚しなければならないとも思います

 

「面倒くさがりだし完璧にやる能力もない癖に気持ちだけ完璧主義。理想と現実の差を認識できていないから病むんだ」

 

夫にそう指摘されたこともあります。

 

まさしくその通り。

自分の身の丈を認識し、それに見合った生活をしなければならないと思います。

 

自分のこだわりで自分が辛くなるだけならいいが、そのことによって周りを不快にさせてはよくない。

子どもが生まれたら尚更。

親が常に不機嫌な家庭だなんて嫌だもの。

子どものためにも、手を抜くことでご機嫌でいられる人間でありたいです。

 

…最近そんなことを考えていますが、いざ手を抜くと言ってもどこまでなら許されるんだろう。

 

極端な話、家事を一切やらずにずっと好きなことだけしているのは?

いやいや、いくらなんでもそれは迷惑だ。

私も罪悪感が生まれそう。

 

手を抜きすぎて迷惑をかけたり罪悪感を抱いたりせず、かといってハードルを上げすぎて不機嫌にならず…な丁度良い度合いを見つけたいと思っています。